【日本の歴史 江戸時代後期】倹約はもう嫌だ!幕府の権威と堅固な体制が崩壊し...
2015.07.16

【日本の歴史 江戸時代後期】倹約はもう嫌だ!幕府の権威と堅固な体制が崩壊し始める まとめ

8代将軍吉宗から始まった倹約令とそれに関係する財政改革は、その後も引き継がれていきますが、膨張する旗本・御家人の経費で相殺され、既に修復困難な状況に陥っていました。その結果、幕府は市井、特に農民に対して綱紀粛正並びに倹約を強要し、次第に厳しい年貢を課すようになりますが、かえって人心が離れる結果となり、内外ともに幕府の権威は著しく失墜していくばかりでした。

【日本の歴史 江戸時代後期】松前藩、ロシア船の通商要求を拒否

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歴史年表1779年 松前藩、ロシア船の通商要求を拒否 桜島噴火、死者150人余|日本史人物&年号

西暦1779年(江戸時代)、安永8年に松前藩がロシアからの通商要求を拒否し、接触自体を秘密にしました。後にこの事実を知った幕府は、松前藩に制裁を加える事になります。

【日本の歴史 江戸時代後期】印旙沼の開拓と5年続いた天明の大飢饉

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歴史年表1782年 印旙沼の開墾を開始 天明の大飢饉(→1787)|日本史人物&年号

西暦1782年(江戸時代)、天明2年に印旙沼の開拓(干拓)がスタートしましたが、同時期に天明の大飢饉が発生しています。多くの飢餓者を出した飢饉は5年も続き、農業生産のみならず、農民経済自体が壊滅的な痛手を受けました。

【日本の歴史 江戸時代後期】浅間山大噴火

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歴史年表1783年 浅間山大噴火 田沼意次の子意知、若年寄に なる 外城郷士の称をやめ、郷士と称す|日本史人物&年号

西暦1783年(江戸時代)、天明3年に浅間山が大噴火しました。また、天保の改革の主導者である老中、田沼意次の子の意知が若年寄に抜擢されました。

【日本の歴史 江戸時代後期】幕府の指導力の低下が顕著になる

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歴史年表1787年 米価騰貴し、江戸・大阪の町民騒乱|日本史人物&年号

西暦1787年(江戸時代)の天明7年、凶作により米価が高騰し、江戸や大阪といった大都市の町民が騒然とし、大挙して蔵米に押し寄せました。

【日本の歴史 江戸時代後期】旗本・御家人の借金をチャラにした「棄捐令」

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歴史年表1789年 棄捐令(旗本・御家人の負債免除) 倹約令5ケ 年延長|日本史人物&年号

西暦1789年(江戸時代)の寛政1年、米の生産量低下と年貢高の減少によって家禄を減らされ、困窮する旗本・御家人の借金をチャラにする棄捐令が出されました。同時に倹約令が5年延長されています。

【日本の歴史 江戸時代後期】二番煎じだった寛政異学の禁

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歴史年表1790年 寛政異学の禁|日本史人物&年号

西暦1790年(江戸時代)、寛政2年に寛政異学の禁が出されました。寛政異学の禁とは、老中・松平定信が寛政の改革で行った学問の統制政策の事を指します。天明の大飢饉を辛うじて乗り切ったものの、幕府の指導力低下は否めませんでした。そこで、儒学のうち朱子学を正学として据え、当時流行していた古文辞学や古学を「風紀を乱すもの」として規制を図りました。ですが、この政策が庶民のささやかな娯楽を奪うものであったため、大いに反感を呼びました。

【日本の歴史 江戸時代後期】本居宜長、最新改訂版の「古事記伝」を著す

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歴史年表1798年 本居宜長の「古事記伝」なる|日本史人物&年号

西暦1798年(江戸時代)、寛政10年に国学者である本居宜長が「古事記伝」を著しました。『古事記』全編にわたって註釈を書き入れた全44巻の書物です。

【日本の歴史 江戸時代後期】幕府、綱紀粛正を百姓・町人に押し付け始める

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歴史年表1801年 百姓・町人に対する名字・帯刀の許可禁止 白糖製造人を大島に派遣して白糖を試製させる|日本史人物&年号

西暦1801年(江戸時代)の享和1年、幕府は百姓・町人に対して名字を名乗ったり、帯刀したりする事を禁止しました。 この背景には度重なる失策で、すっかり失墜した武家の威厳を取り戻そうとする動きと、幕府に反感を持つ庶民達の暴動を事前に防ごうとする狙いが見て取れます。

【日本の歴史 江戸時代後期】うさ晴らし?!尚も百姓を締め付け続ける幕府

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歴史年表1805年 百姓の武芸稽古禁止|日本史人物&年号

西暦1805年(江戸時代)、文化2年には百姓の武芸稽古すら禁止してしまいました。旗本や御家人が、武芸に秀でた農民に武術で教えを請う事は、幕藩体制を執る立場上許されない事でした。

【日本の歴史 江戸時代後期】伊能忠敬、日本版グーグルマップ作成に着手する

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歴史年表1810年 伊能忠敬の領内測量着手|日本史人物&年号

西暦1810年(江戸時代)、文化7年に商人にして測量家の伊能忠敬が足かけ17年かけて全国を測量してまわり、日本発の国土地図である『大日本沿海輿地全図』を完成させました。

【日本の歴史 江戸時代後期】今さら倹約なんて出来るか!百姓・町人はストレスがたまる一方

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歴史年表1816年 百姓の衣服、次第に贅沢となる 美濃・伊勢など普請高割用金7万7664両を課 せられる 徳之島母間村、百姓一揆 琉球飢 饉、餓死者1563人|日本史人物&年号

西暦1816年(江戸時代)、文化13年頃の百姓の衣服は次第に贅沢になっていた・・・と、記録にはありますが、それは武家の目からそう見えただけで、実際の所は質素でつつましい生活を送っていました。 そして、百姓一揆や飢饉が全国で散見し、幕内では旗本・御家人間のいざこざなど、政情不安も見え隠れする嫌な雰囲気が漂う時代に突入していくのです。

【日本の歴史 江戸時代後期】倹約7年の上にさらに5年延長、武士はもうブチ切れ寸前

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歴史年表1819年 倹約年限を明年以後5年間年限延長 大島稀有 の大風|日本史人物&年号

西暦1819年(江戸時代)、文政2年に倹約期間を5年間に延長するおふれが出されました。しかし、当初は効果のあった倹約令も、この時代に入ると無理が祟り、殆ど効果がありませんでした。窮乏の上に倹約を強いられた武士は、命よりも大事な家宝の刀を質に入れたりして急場を凌ぐなど、威厳と誇りを次第に失い、庶民に至っては退廃的な雰囲気が日本中を覆い始めました。

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