【日本の歴史 安土・桃山時代】天下を制した漢は開放的な貿易立国を理想に掲げた まとめ
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群雄割拠たる戦国の時代を制し、入洛によって天下統一を果たしたのは当時、小国尾張の大名の織田信長でした。信長は畿内を中心に、自由闊達な政策で産業を大いに振興させ、同時に海外に門戸を開いて貿易立国を目指しました。一方、敵も多かった信長は刃向かう敵対勢力には情容赦ない制裁を加えましたが、この政治理念は後継者となった秀吉にも受け継がれ、僅か30年足らずで日本は飛躍的な発展を遂げるのでした。
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【日本の歴史 安土・桃山時代】歴史的な天下人同士の和睦
【日本の歴史 安土・桃山時代】羽柴秀吉、豊臣秀吉に改名
西暦1586年(安土桃山時代)、天正14年に秀吉は天皇より太政大臣の官位を得ると同時に、豊臣の姓を賜ります。こうして秀吉は名実共に天下人となりました。
【日本の歴史 安土・桃山時代】太閤検地により税収安定に乗り出す
西暦1589年(安土桃山時代)、天正17年に秀吉は生産高から一定の租税額を取り決める、太閤検地を開始します。石高制が採用された暁に、農民は領主に直接祖税を収めるようになり、それまで中間搾取者として存在した地頭などの役人がほぼ消滅しました。同時に荘園制度は全廃される事となりました。また、この時期には、薩摩に編入された琉球王国の使者が島津義久に伴われて上洛しています。
【日本の歴史 安土・桃山時代】小田原北条氏滅亡
西暦1590年(安土桃山時代)、天正18年に秀吉は長らく帰順せず、頑強に対立の意志を示していた小田原北条氏を、言いがかりで攻め立てて征伐しました。これにより最後の抵抗者となった北条氏は滅亡し、秀吉の天下統一は完全に果たされる事となりました。
【日本の歴史 安土・桃山時代】この時代から存在した身分制度
西暦1591年(安土桃山時代)、天正19年に士・農・工・商の身分制度が定められました。もっともこれは条文化しただけのものであり、この条文を参考にして実施されるのは江戸時代に入ってからになります。