【日本の歴史 江戸時代末期】幕府の断末魔は相次ぐ砲声によってかき消された まとめ
幕府の権威失墜と体制の揺らぎは、数々の内乱を呼び込みました。市井の窮乏ぶりを哀れんだ幕府方の大塩平八郎の反乱に始まり、雄藩の相次ぐ蜂起と世相はめまぐるしく変化していきますが、幕府は反体制派の投獄・処刑を強行し、尚も権力の座に居座ろうとしました。ペリー来航など諸外国の侵略が危惧される中、時代は衰退した幕府を見限り、新しい近代国家を目指す為の現体制の打破・・・即ち「倒幕」へと向かっていくのでした。
【日本の歴史 江戸時代末期】ついに、幕府の内側から体制が揺らぎ始めた
西暦1837年(江戸時代)、天保8年に大塩平八郎の乱及び 生田万の乱が起きました。大塩平八郎の乱大坂町奉行所の元与力、大塩平八郎とその門弟が幕府に対して起こした救民を訴える反乱で、生田万の乱は国学者の生田万が越後で貧民救済のために蜂起した事件です。反乱の背景にはいずれも、天保年間における大飢饉で多数の餓死者が出たにもかかわらず、豪商や代官が結託して米を買い占めた結果、米価暴騰が起こり、庶民生活が圧迫されていた事が挙げられます。
【日本の歴史 江戸時代末期】弱小長州藩、藩政改革で一躍雄藩に躍り出る
西暦1838年(江戸時代)、天保9年に長州藩の家老、村田清風が天保の改革を受け、数々の藩政改革に着手しています。この藩政改革の結果、借金体質の藩の財政を立て直し、後に幕末において雄藩となる長州藩の素地が出来上がりました。
【日本の歴史 江戸時代末期】反体制知識人を投獄・・・恐怖政治の始まり
蛮社の獄は西暦1839年(江戸時代)、天保10年に蘭学者の渡辺崋山・高野長英達がモリソン号事件と幕府の鎖国政策を批判したために捕縛され、牢につながれたという言論弾圧事件です。
【日本の歴史 江戸時代末期】最後の悪あがき「天保の改革」
幕府方の人間であった大塩平八郎らによる反乱を受け、幕府老中の水野忠邦は威信回復をかけて西暦1841年(江戸時代)、天保12年に最後の財政改革である「天保の改革」に着手します。また、株仲間による流通の独占が物価高騰の原因であるとして、天保12年から13年にかけ、冥加金の上納を停止させ、株仲間の大半の解散を命じましたが、反対に流通の混乱と景気の悪化を招いてしまいました。
【日本の歴史 江戸時代末期】有力商人達に媚を売り始めた幕府
西暦1851年(江戸時代)、嘉永4年に十組問屋が冥加金不要の問屋仲間として再興され、西暦1857年(安政4年)に再び株仲間として結成されました。株仲間は今で言えば商業組合に相当します。一方、薩摩藩では名君と謳われた島津斉彬が藩主になりました。
【日本の歴史 江戸時代末期】黒船来航で天下泰平の世の終焉
西暦1853年(江戸時代)、嘉永6年にアメリカのペリー提督率いる使節団が、合衆国大統領の親書を携え、通商を求めて軍艦で浦賀に来航しました。 即答を避けた幕府は翌年、日米和親条約を締結します。同時期に徳川家定が13代将軍に就いています。