【日本の歴史 江戸時代中期】倹約、倹約、また倹約、綱紀粛正と米相場に苦しむ幕府 まとめ
幕府開闢から数々の法整備を成し遂げた結果、江戸時代中期には内乱や農民による一揆の数は激減し、幕府は内政や産業振興に力を注げるようになりました。幕府の財政は充分潤い、庶民の生活水準も史上類を見ないほど飛躍的に向上し、日本中が天下泰平の世を満喫する中、武士も庶民も豊かな生活に慣れきったせいか次第に贅沢の味を覚え、特に幕府の台所は放蕩赤字状態に陥っていくのでした。
【日本の歴史 江戸時代中期】松尾芭蕉、全国行脚で「奥の細道」を著す
西暦1689年(江戸時代)、元禄2年に松尾芭蕉が全国行脚の旅に出て、後に「奥の細道」を著しました。松尾芭蕉が全国を巡る旅に出たのは、幕府から依頼されて諸国の実態を探るため、即ち、諜報活動の為であったという説が近年浮上しています。
【日本の歴史 江戸時代中期】忠臣蔵~赤穂浪士の仇討ち
【日本の歴史 江戸時代中期】お伊勢参りは豊かさの顕れ
西暦1705年(江戸時代)、宝永2年にはお蔭参りで諸国の庶民が伊勢神宮をこぞって参拝するようになりました。五街道の整備に加え、積極的な産業振興等で民衆の生活水準が著しく向上したため、長旅をする経済的余裕が生まれた時代です。また、この頃から琉球地方から伝えられたサツマイモが食卓に上がり始めました。
【日本の歴史 江戸時代中期】暴れん坊将軍、享保の改革に着手する
西暦1716年(江戸時代)、享保1年に紀州藩出身の徳川吉宗が8代将軍になりました。立て直しに成功した紀州藩時代の財政政策を幕政に反映させ、幕政改革「享保の改革」を実施しました。
【日本の歴史 江戸時代中期】話の分かる8代将軍吉宗、洋書の輸入を許可する
西暦1720年(江戸時代)、享保5年に吉宗公は、キリスト教以外の漢訳された洋書の輸入を許可しました。これにより、日本で蘭学が大いに盛んになりました。
【日本の歴史 江戸時代中期】8代吉宗、幕府の財政再建の一部を諸藩に肩代わりさせる
西暦1722年(江戸時代)、享保7年に吉宗公は上米の制を定めました。上米の制とは、大名に対し、石高1万石に対して100石の米を納めさせる代わりに、参勤交代の江戸在住期間を半年(従来は1年)に半減した制度です。この制度には色々と問題があり、幕府の権威失墜だけでなく、参勤交代にかかる費用が半減した結果、大名の経済力が高まるという幕府にとっては好ましくない結果をもたらしました。