【日本の歴史 江戸時代前期】天下分け目の戦を制した天下人の平和な国づくり まとめ
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天下分け目の合戦に勝利した徳川家康は、江戸に幕府を開きました。そして、内戦の消滅に伴い、綱紀粛正と厳格な身分制度を旨とした農民や宗教団体の反乱、諸大名のクーデター封じ込めなどの諸政策を断行していきます。一方、陸海輸送網の整備や産業の発展、海外との交易にも力を入れた結果、江戸幕府はわずか100年足らずして史上類を見ない、豊かで平和な国作りの基盤を磐石なものにしたのです。
【日本の歴史 江戸時代前期】糸割符法制定と五街道に一里塚
西暦1604年(江戸時代)、慶長9年に糸割符法が制定されました。糸割符とは江戸時代、相対売買による中国からの生糸輸入の方式で、1672年(寛文12年)から1685年(貞享2年)の間に行われました。また、陸上輸送のために整備された、東海道などの五街道で、4キロ置きに一里塚が設けられました。
【日本の歴史 江戸時代前期】薩摩島津氏琉球征伐
西暦1609年(江戸時代)、慶長14年に薩摩藩の島津氏が琉球王国に遠征し、首里城に迫った所で王尚寧が降参しました。 家康は薩摩藩に対し、琉球を領地に含めて統治する事を認める「領知の黒印状」を出しました。
【日本の歴史 江戸時代前期】大阪夏の陣で最大の抵抗勢力を葬る
西暦1615年(江戸時代)、元和1年に大坂夏の陣が起こり、大阪城の内堀を埋め立てて豊臣氏を城内に閉じ込め、攻め滅ぼしました。この時代、幕府に対し恭順の意を示さない外様大名はまだ多く、外様方から厚い信頼を寄せられていた豊臣家を滅ぼす事は、磐石な幕藩体制を築く上で避けては通れない道でした。
【日本の歴史 江戸時代前期】徹底的に宗教を取り締まる
西暦1629年(江戸時代)、寛永6年に紫衣事件が起こり、大徳寺の僧の沢庵らが流罪に処せられました。ほぼ同時期に風紀の取り締まりも始まり、退廃をもたらすものとして女性が歌舞伎を演じたり、鑑賞する事を禁止しました。
【日本の歴史 江戸時代前期】鎖国が敷かれ、許された船しか海外に行けなくなった
幕府発行の奉書に朱印のある船のみ海外との貿易を許すという取り決めがされ、西暦1631年(江戸時代)、寛永8年に朱印船貿易がスタートしました。その後、寛永10年には鎖国令が敷かれ、奉書船以外の海外渡航は一切禁じられるようになりました。その結果、銀山視察のためスペインに渡った支倉常長など日本人に帰国制限が設けられる事になりました。
【日本の歴史 江戸時代前期】参勤交代と武家諸法度で謀反を防ぐ
西暦1635年(江戸時代)、寛永12年に人質による半年ごとの(後に一年ごとに改正)参勤交代制度が確立しました。同時に先に出した武家諸法度を改正し、大名の謀反に対する罰則が強化されました。さらに、鎖国令が正式に出され、海外渡航そのものが禁止されるようになりました。
【日本の歴史 江戸時代前期】江戸時代初期に起こった最初で最後の宗教一揆
西暦1637年(江戸時代)、寛永14年にキリシタン天草四郎時貞によって島原の乱が起きました。勃発の原因は1612年に出された禁教令による、キリスト教信者に対する行き過ぎた摘発にありました。信教の自由を求め、信者達は原城に3ヶ月たてこもり奮闘しましたが、最後は食料・弾薬が尽き、幕府軍の総攻撃によって壊滅しました。